明泉寺の沿革
創立は不明ですが初代祐寛は寛正5(1464)に没しました。初代は気入彦命の末裔と伝わります(『気入彦命御遺蹟考』)。
古くは天台宗でしたが、10代祐春の時に浄土真宗に改宗したと伝わります(『西尾郷村雑書』)。
天正3(1575)年、火災により古記録が焼失しました。
元は深池村にありましたが、正保元(1644)年11代祐慶の時に矢曽根村に移転しました。
寛永元(1624)年に蓮如絵像、寛永14(1637)年に親鸞絵像、寛文5(1665)年に阿弥陀如来像、寛政3(1791)年に親鸞絵伝を本山から賜りました。
16代了宏の時、宝暦3(1753)年に鐘楼が建立され、宝暦11(1761)年に現存の本堂が再建され、同時に当院初の親鸞聖人御遠忌法要が勤められました(『矢曽根おいたち50年間のできごと』)。
明泉寺の山門
旧山門は嘉永7(1854)年に地震で倒壊しました。現存の山門は安政3(1856)年に代々宮大工の8代伊藤平左衛門により再建されました(『四脚御門壱宇木寄諸色積り帳』)。伊藤平左衛門は東本願寺などを手掛けた人物です。
山門は、四脚門様式で、猿、獅子、バク、唐人、紋などが彫刻されています。
唐人の彫刻は、中国二十四孝の一人である郭巨の逸話が彫られています。
郭巨は、家が貧しく母が食を減らすのを見かね、わが子を埋めようと地を掘ったところ「天、孝子郭巨に賜う」と書いた黄金の窯を発見したといいます。
三河と浄土真宗
〈親鸞とその弟子〉
三河最古の浄土真宗のお寺は妙源寺(岡崎市)で親鸞聖人が説法した伝承がある。
親鸞の弟子・顕智は三河で3年間布教した。
〈蓮如〉
1468年頃、蓮如上人は岡崎や碧南を拠点に布教し浄土真宗が盛んになったといわれる。その際「南無阿弥陀仏」の書を大量に書いてお寺や門徒に渡した。
三河大浜騒動
明治4(1871)年、付近を統治する菊間藩の廃仏的政策に対し、僧や民衆が直談判のため役所に向かいましたが暴動に発展しました。中心人物の石川台嶺(西尾出身で蓮泉寺の僧)は死罪となりました。
明泉寺所属の南岳は、血誓連判や飯米調達などで騒動に関与したため懲役2年に処されました。南岳は、深池村の明泉寺門徒の家に生まれ、僧侶となり、騒動で収監されて出所後、愛西市法融寺へ養子入りしました。
年表 古くは天台宗という説あり | |
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1460年頃 | 祐寛(?−1464)の創建と伝わる |
1565年(永禄8年) | 深池村に建立 |
1575年(天正3年) | 火災、古文書焼失 |
1624年(寛永元年) | 「蓮如上人絵像」下付 |
1637年(寛永14年) | 「親鸞聖人絵像」下付 |
1665年(寛文5年) | 「阿弥陀如来立像」下付 |
1644年(正保元年) また 1686年(貞享3年) | 矢曽根村に移転 |
1753年(宝暦3年) | 鐘楼建立 |
1761年(宝暦11年) | 本堂再建 |
1791年(寛政3年) | 「親鸞聖人御絵伝」下付 |
1854年(嘉永7年) | 安政東海地震で山門倒壊 |
1856年(安政3年) | 山門再建 |
1859年(安政6年) | 本堂屋根替え |
1871年(明治4年) | 大浜騒動に弟子・南岳(知静)参加 |
1892年(明治25年) | 「聖徳太子・七高僧絵像」下付 |
1945年(昭和20年)頃 | 戦争で釣鐘供出 |
1945年(昭和20年) | 三河地震で本堂大破・鐘楼倒壊 |
1948年(昭和23年) | 本堂修繕 |
1973年(昭和48年) | 仏間及び客間新築 |
1980年(昭和55年) | 本堂屋根替え |
1982年(昭和57年) | 合葬墓建立 |
2005年(平成17年) | 山門改修 |
2023年(令和5年) | 門柱移動、合葬墓再建・動物墓建立 |
年表 古くは天台宗という説あり | |
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1460年頃 | 祐寛(?−1464)の創建と伝わる |
1565年 (永禄8年) | 深池村に建立 |
1575年 (天正3年) | 火災、古文書焼失 |
1624年 (寛永元年) | 「蓮如上人絵像」下付 |
1637年 (寛永14年) | 「親鸞聖人絵像」下付 |
1665年 (寛文5年) | 「阿弥陀如来立像」下付 |
1644年 (正保元年) また 1686年 (貞享3年) | 矢曽根村に移転 |
1753年 (宝暦3年) | 鐘楼建立 |
1761年 (宝暦11年) | 本堂再建 |
1791年 (寛政3年) | 「親鸞聖人御絵伝」下付 |
1854年 (嘉永7年) | 安政東海地震で山門倒壊 |
1856年 (安政3年) | 山門再建 |
1859年 (安政6年) | 本堂屋根替え |
1871年 (明治4年) | 大浜騒動に弟子・南岳(知静)参加 |
1892年 (明治25年) | 「聖徳太子・七高僧絵像」下付 |
1945年 (昭和20年)頃 | 戦争で釣鐘供出 |
1945年 (昭和20年) | 三河地震で本堂大破・鐘楼倒壊 |
1948年 (昭和23年) | 本堂修繕 |
1973年 (昭和48年) | 仏間及び客間新築 |
1980年 (昭和55年) | 本堂屋根替え |
1982年 (昭和57年) | 合葬墓建立 |
2005年 (平成17年) | 山門改修 |
2023年 (令和5年) | 門柱移動、合葬墓再建・動物墓建立 |
年中行事 | |
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5月 | 永代法要 「永代合葬墓」埋葬者をお参りする法要です。対象者には招待状をお送りします。参加無料・参加自由です。 |
8月 | お盆法要 「一般墓地」「永代合葬墓」埋葬者をお参りする法要です。対象者には申込書をお送りします。申込書に法名(戒名)を記入し、一体あたり1,000円をお納めください。参加自由です。 |
9月 | 祠堂法要 ご遺骨をお寺に預けない永代読経です。「自分たちのお墓はあるけど、故人をより追悼したい」という方におすすめです。30年間招待します。お布施15万円~ |
11月 | 報恩講 当宗派の開祖・親鸞聖人の命日に、聖人の教えに感謝し、自らの生き方を考える仏事です。法要後、法話があります。参加無料・参加自由です。期間中は「志納金」や「墓地管理費」を受け付けています。 |
寺院概要 | |
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寺院名 | 中林山 明泉寺(ちゅうりんざん みょうせんじ) |
宗派 | 真宗大谷派 |
開基 | 祐寛上人(ゆうかんしょうにん) |
本山 | 京都東本願寺(真宗本廟) |
関係寺院 | 元は安城市本證寺の末寺 |
宗祖 | 親鸞聖人(1173−1263) |
中興 | 蓮如上人(1415−1499) |
本尊 | 南無阿弥陀仏(阿弥陀如来立像) |
教義 | 本願(阿弥陀仏の誓い)を信じ、念仏をもうさば仏になる |
歴代住職 | ①祐寛―②□□―③□□―④□□―⑤□□―⑥□□―⑦□□―⑧□□―⑨祐斎―⑩祐春―⑪祐慶―⑫祐源―⑬□□―⑭祐信―⑮了説―⑯了宏―⑰了淳―⑱了雲―⑲了念―⑳了諦―㉑良寛―㉒良祐―㉓良宏―㉔良健―㉕良護―㉖諒泉 ※数字…継承順 □…不明 |
現住職名 | 御館 諒(みたち りょう) |
住所 | 〒445-0872 愛知県西尾市矢曽根町一本木53 |
交通案内 | 国道23号線『中原』IC出口から車で15分 電車の場合 名鉄西尾線『西尾』駅から徒歩20分 タクシーで5分 バスの場合 名鉄西尾線『西尾』駅 名鉄東部交通バス・一色線 一色町公民館行バスに乗り、矢曽根南で下車、徒歩3分 | お車の場合
電話番号 | 0563-57-4641 |
HP | https://myousen-ji.com |
住職あいさつ
はじめまして。明泉寺住職の御舘でございます。
本来お寺は敷居の高いものではなく、みなさまがお悩みなどを気軽にお話しに来られる場所でした。明泉寺では入りやすいお寺、地域のみなさまに安心していただけるお寺を目指しております。小さなお悩みでも構いません。是非、当ページよりご連絡ください。
住職プロフィール
平成5年生まれ
平成17年 得度及び僧籍取得
平成28年 同朋大学人文学部卒業
平成28年 真宗大谷派教師資格取得
平成28年 明泉寺第26代住職就任